ケンタッキーはどうやって,世界に広まったのか?

こんにちは。HANAです。

皆さんは,ケンタッキーは好きですか?

私はどちらかというと好きです。

今回は,その歴史のお話をしていきますね。

 

クリスマス時期になると、ケンタッキーには行列の人を見かけます。

ケンタッキーは、最初から人気があったわけではありません。

じゃあどんな戦術を使って、人気を得ていったのでしょう。

それについて、語っていきたいと思います。

<サンダーズカフェから始まった>

お店の前に置かれている、白髭で笑顔の男性いますよね?

その方は、カーネル・サンダースと言います。

1890年、アメリカのインディアナ州で生まれました。

最初からケンタッキーに、関わってはいませんでした。

タイヤのセールスマンや、ガソリンスタンドを経営していたのです。

当時経営していたガソリンスタンドに、よく旅行客が来てました。

客を喜ばせたい彼は、小さな部屋にテーブルと椅子を置き、

食事ができる場所を作ったのです。

チキンやビスケット等を、お客さんに出していたそうです。

これがサンダースカフェの、始まりです。

その後旅行者の間でサンダーズカフェは、人気となっていきました。

彼が45歳の時、ケンタッキー州知事により、カーネルの称号を貰います。

それからもフライドチキンの味を改良したり、スパイスの調合をしたりして。

そして圧力鍋を活用し、今のケンタッキー・フライドチキンの味が完成できたのです。

<定年になってからの挑戦>

定年になり、のんびり暮らそうと考えていたサンダース。

しかし年金額が少ないことから、フライドチキンの仕事をするようになりました。

チキンの作り方を、他の店に売ろうと考えました。

ビジネスマンのピート・ハーマンに、相談をします。

しかしなかなか、OKをもらえませんでした。

試行錯誤して1ピース4セントという価格で、初めてフランチャイズ契約を結びました。

これでよくなると思いきや、1000以上契約を断られることもありました。

ですが4年間で、約200店舗の契約に成功したのです。

地道が努力が実り、どこでも同じ味が楽しめる。

このことからカーネルが74歳の時には、600店舗以上を超えていたのです。

味だけでなく、自分で行動する事で、店を大きくしていったように思います。

<中食やドライブスルーに、力を入れた>

ケンタッキーは、店内飲食よりテイクアウトに力を入れてました。

これはコロナ影響もあります。

売り上げも店内に比べ、テイクアウトの方が約7割だったのです。

その他外食でなく、中食メインにやったのが、功績を招いたと思います。

店内では食べれないが、自宅で少しおいしいものをということで、

ケンタッキーのテイクアウトを使う人が増えました。

しかしテイクアウトするにも、並びますよね。

そこでケンタッキーはインターネットやスマホで事前にオーダーを受け付け、

予約時間に店に来て商品の受け渡しを行うようにしました。

これならそんなに、待たなくてすみますよね。

あとドライブスルーを始める、店舗が増えたのです。

車の中から注文するので、他の客と接することがありません。

次に、店内に入らずに済みます。

この利点により、ドライブスルーを利用する方が増えたのです。

そのため一時ドライブスルーの売り上げが、一番伸びた時期もあったほどです。

<まとめ>

ケンタッキーが、世界に広まった理由について述べてみました。

最初は旅行客のための、サンダースカフェが始まりだったのですね。

それがあったから、カーネルの称号をもらえたのかもしれません。

次に定年後に、年金が足らないことからフライドチキンの仕事が始まります。

ビジネスマンに相談したり、いろんな店に行き契約を取りに行ったりと。

フランチャイズ契約を結んだことで、契約店舗が少しずつ増え現在に至ります。

どこでも同じ味を食べれるというのが、心強いと思います。

そしてコロナ禍に遭遇し、ドライブスルーを組み込む店舗が増えました。

これがプラスになったと思います。

他人と関わらず、店内に入ることもありません。

店内にいなくても、おいしく食べることができます。

今後もその時代にあったサービスに、対応していってほしいと思います。

そしてクリスマス時期だけでなく、1年中利用し続けたいと思う店に

なってほしいと考えます。